
赤門通の由来となった山門
大光院の建物は、江戸時代に起きた火災や昭和20(1945)年の名古屋大空襲による焼失などで幾度も建て直され、現在ある山門は昭和41(1966)年に、本堂と明王殿は平成15(2003)年に再建されたものです。
もとの山門は二階建ての楼門で、上層に十六羅漢木座像、下層に仁王木像を配していました。
大須商店街の北側を東西にはしる赤門通は、この朱塗りの山門から命名されました。

語学の天才、司馬凌海の頌徳碑
愛知県公立病院・公立医学講習場(現名古屋大学医学部)教授で、日本初の独和辞典「和訳独逸辞典」を出版した司馬陵海こと島倉亥之助(1839~1879年)の功績をたたえ、明治15(1882)年に建てられた頌徳碑です。
陵海は新潟県佐渡に生まれ、江戸で松本良順、長崎でオランダ人医師ポンペに師事し、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていたとされます。
司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」で主人公の一人として描かれています。

「のぼうの城」の成田長親の菩提寺
大光院は戦国時代の武将、成田長親(1546~1613年)の菩提寺で、長親の墓碑は名古屋市千種区の平和公園にあります。
長親は豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)の際、忍城(埼玉県行田市)の城代として石田三成による水攻めに耐え抜き、和田竜の小説「のぼうの城」で一躍有名になりました。
その後は放浪生活を送り、松平忠吉に仕えていた長男・長季に従って、尾張国で隠居したとされます。
